人付き合いが上手くいかず、精神的にも参っていました。
生きていくうえでコミュニケーションというものは、絶対に避けられないことは分かっていましたけど、上手くいかなければいかないほど、嫌になってしまうし…。
余計なことも考えないで、気楽に生きていきたいと思っていました。
事の発端は、小学生の頃、イジメられたことがありました。
何か特別、悪いことや周りの人が嫌がることをしたわけでもないんですけど、とにかく嫌われていました。
もう、思い出したくもないほど、毎日辛かったです。
親には心配かけたくないから相談もできないし、先生に言っても告げ口したと捉えられて、後から余計にイジメが酷くなることが怖くて、何も言えませんでした。
人の目も怖くなって、「とにかく目立たないように、大人しくしていよう」としか思えませんでした。
中学生の頃には、イジメはなくなったので、その点に関しては良かったんですけど、「自分の気持ちを押し殺して静かにする」というふうにしていたので、もう活発に行動することもできないし、発言することもできなくなっていました。
何か行動する時はもちろん、ちょっとした一言を言う際にも、あれこれ考えてしまうんです。
「こんなことをしても…こんなことを言っても大丈夫かな?」とイチイチ、周りを見るようになってました。
高校や大学の頃には、少ないですけど友達もできました。
でも、「何でも言い合える」ということはなかったです。
やっぱり「こんなこと言って、怒らないかな?失礼じゃないかな?」と思ってしまって、思ったことを言えませんでしたね。
毎日毎日、朝から晩まで家族以外、接する人に対して、あれこれ考えて気を使い過ぎてしまって、クタクタになってました。
人付き合いが楽しくなった!
そんな生活をしていれば、自分のことが本当に嫌になります。
「あの時、イジメられなければ…」「イジメっ子達に言い返すくらいのことができたら…」何度も悔やみました。
でも、悔やんだところで、どうにもなりません。
そんな時に、「過去は所詮過去。大切なのは今、何を考えるか?」というようなことをネット見かけました。
今までも何度か、そういう格言のようなものを見たことがありましたけど、その時は「本当にその通りだ!」と思いました。
「今はイジメられているわけでもないし、過去のことで今は嫌な思いをしていても仕方がない。未来のためにも、今から少しでも良いからコミュニケーション能力を身に付けるようにしよう!」と思ったんです。
そのためには、会話術を学ばないといけないとも思いました。
結局、人付き合いを上手くいかせようと思っても、何を喋って良いのか分からなくて、相手に話を合わせることしかできなかったので、疲れていたんですよね。
相手をバカにしたり、見下したりするような発言でなければ、そこまで考える必要なないと思うんです。
余計なことをあれこれ考えずに、もっとシンプルに雑談とかをできるようになりたかったんですね。
それで、どうなったか?と言いますと、そうなれました。
どう考えて、どんな話をすれば良いのかが分かったので、シンプルにコミュニケーションを楽しめるようになりましたね。
この会話術は、本当に分かりやすいです。
コミュニケーション能力を身に付けるために、どうすれば良いかが完全に理解できました。
余計なことばかり考えすぎていて、疲れ切っていましたけど、今はすごく気楽でいられています。
今まで、あまりにも人と接することに苦手意識を持っていたので、すぐに変わることはできませんでしたけど、少しずつですけど人間関係が良好になってきています。
雑談なんて、楽しくて仕方がないですね。
ちょっと大人数だと、躊躇してしまって、上手くいかないこともありますけど、全く無言で話せないということでもないし、一応会話には参加できますから、これからもっと頑張ろうという感じです。
深く考えすぎても良くないこともあるんですね。
楽に考えた方が、人間関係って上手くいくのかもしれません。
嫌な思いをしてきたからこそ、今の状況をすごく楽しめていますので、イジメを受けたというのも、良い経験だったかな、と思えるほどになりました。